らーめんてーぶる

Lamentable(残念な、ひどい)な英語からの脱却を目指して、地味に奮闘中。NHKラジオ講座、TOEIC、ヒアリングマラソンの学習記録と感想のブログ

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カズオ・イシグロの声と記憶

カズオ・イシグロのインタビューの感想と、その他考察。

(※インタビューは、『1000時間ヒアリングマラソン』1月号の副読本に収録されていたもの。聞き手および日本語訳は、アメリカ文学研究者・翻訳家の柴田元幸氏)

 

目次

 

『声』を見つける

インタビューで語られていたのは、カズオ・イシグロの『小説家道』とでも言うべき内容で、それを作家の『声』として表現していたのが印象的だった。

The purpose of writing wasn't simply to write like some writer you admired.  It was to do with actually finding out who you were, what your own emotional and artistic priorities were and to try and find a way of writing that expressed this.

(書くことの目的とは、自分が崇拝している作家のように書けるようになることではない。自分が何者なのかを発見し、感情や芸術に関して自分には何が大切なのかを知り、それを表現できるような書き方を見つけることだというわけです。)

 

そして、他の誰でもない、その人にしか表現し得ない書き方が『声』であり、

You became a real writer at that point when you found your voice.

(自分の声を見つけた時点で、人は本物の作家になれるというわけです)

 

しかも一度見つけたら終わりではなく、常にアップデートしつづける必要がある。

たとえ世間から賞賛されたとしても、かつて正しかった声に固執するべきではない等、非常にストイックなことを、気負わず、いたってさりげない調子で言うところがスマート。

 

カズオ・イシグロとの出会いと英語

。。というインタビュー内容を、音声&スクリプトで聞いたり読んだりしながら、「おや?」と思う。

どうもこの話に覚えがあるような気がして、誌面を確認したところ、当インタビューが、下記書籍からの抜粋だったことが判明。(ノーベル文学賞受賞の緊急特別企画として、解説等を加えて編集されたもの)

 

そう、この本! 出た時すぐに買って読んだんだった!

そこから記憶の糸口がほどけて、色々と思い出す。

もうかなり前になるけど、ポール・オースターにハマっていた時期があって、彼のインタビュー目当てでこの本を買ったこと。

そして、この本に出ていた他の作家たちにも興味をもち、少しずつ読んでいったのだけど、結局、複数の作品を読んだのは、レベッカ・ブラウンとカズオ・イシグロだけだった。(村上春樹は別として)

ちなみに、この『ナイン・インタビューズ 柴田元幸と9人の作家たち』も、インタビュー音声付だったのだけど、当時の自分の英語力ではまったく歯が立たず、日本語訳文に頼りきりだった。

それと比べると、今回はカズオ・イシグロ本人の発言をだいぶ聞き取れたので、自分の英語力もちょっとはマシになってきたのかもしれない。

思いがけず、うれしい発見であった。

 

既読イシグロ作品

これまでに読んだことのあるカズオ・イシグロ作品は、以下の3作。

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

 

『わたしを離さないで』は切ない物語ながら、「すごい! 面白かった!」と歯切れよく言い切れる感じだけど、上の2作は、正直ちょっと消化しきれていない部分あり。

特に『わたしたちが孤児だったころ』は、『信用できない語り手』が信用できなさ過ぎて、ついていくのに苦労した。

それでいて、独特の世界観に引きずり込まれて、何とも言えない、濃厚な読書体験だった。

 

イシグロ作品の世界観(対・村上作品比)

たとえば、村上春樹作品の世界観と比べると、

村上春樹の描く物語は、心の無意識の層にもぐりこんでいって、地中深くから天然資源をくみ上げてくる感じ。

それに対して、カズオ・イシグロの物語は、地上に構築した『記憶』という名の人工物で、心の偽りが景色の遠近感を狂わせるような、不穏で緊張感のある世界。

読み進んだ時、物語を逆方向にたどりなおすのが難しい。

読むのにちょっと体力が要るけれど、次はぜひ、『忘れられた巨人 (ハヤカワepi文庫)』を読んでみたい。

 

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